大切な人が病気になったら、その意味を転換する。それは自分の可能性に気がつくこと。自分を肯定できれば、大切な人までも安心させられる。
大切な人が病いになり、不安や怖さを感じている方へ。
今日は、病いの捉え方についてのヒントをお伝えします。
まず、病いの意味を転換して考えてみます。
それは病いになってわかる「気づき」です。
そして、気づきは「生かすこと」が大切です。
病いが教えてくれることを、有難いなんて思うのは難しいです。
だけど、病いから得た気づきを生かすことは、病気になった辛さ・悔しさを決して無駄にしないことへも繋がります。
「もっとこうしていればよかった…」自分への不甲斐なさ、その一色に染まってしまえば苦しいです。
身近に病いを経験することで、今日この日を過ごす、何でもない毎日に「1番大切なものは何だったのか」気づくと思います。
それと同時に、今まで不満に思っていたことは、それほど問題ではないことに気づくと思います。
私も実際、大切な人が「病い」になり、今まで私はつまらないことに怒ったり、つまらないことを優先していていたな、と気がつきました。
自分が人のためにこうしたいと思っていることを後回しにしていたことは、できなかったのではなく、やらなかっただけだった、と
気づきました。
例えば、私だったら、大切な家族や友人に、もっと会うこと。
会って話を聞いたり、さみしい思いをさせないようにしたり、安心させたり。
お土産なんてなくても、気の利いたことを言えなくても、顔を合わすだけで、気にかけていることが伝わるだけで、行動に移すことが、相手への恩返しになるかもしれない。
そう思いました。
自分が今まで大切と思っていたものより、もっと本質の部分に大切なものがある。
もっと工夫すれば、もっと時間ができるはず。
もっと知恵をしぼれば、自分にはもっと色々なことができるはず。
自分のことで精一杯だった私は、もっと人のために時間を作れる人になろうと思いました。
例えば、週に一回買い出しにいくなら、もっと効率的に買い物を済ませて、20分でも30分でも時間をしぼりだせば、大切な人に電話をしたり、市内なら会いにいける。
そんな日には、いつもの家事がもっとシンプルにできないかな?と、気にかけながら工夫すれば、いつもよりちょっと帰りが遅くなっても大丈夫かもしれない。
目に見えていなかった「無駄」を探し出して、もっと人のために時間が使えないかな?
大切な人の「病い」は、そんなふうに考えはじめる機会になりました。
「後悔先に立たず」もちろんそうですが、1番の失敗は、後悔一色に染まって、「悔しい」「自分は無力だ。」と未来に何もしないことです。
病気にならない人はいません。誰もがいつか死と向き合わなければいけません。
その日まで、今日をどう過ごすのか、考え直していけば良いんです。
今ここから。
病いを機に、あなたがもっと大きくなることは、あなたの可能性に気がつくこと・あなたの可能性を伸ばすことです。
大切な人の病いによって動揺した心はすぐに歩き出せないときもあります。
前を向けるのが今日からでも、1ヶ月後でも、時間があるなら5年後からでも良いです。
「自分は、きっともっとできる。」
自信をすぐにつけるのは難しくても、自分を肯定することから始めれば、あなたの大切な人までも安心させることに繋がると思います。
うまく言えませんが、いつしか、あなたの心が穏やかになりますように。