気どったサラダを作ったら人生について考え出した。喜びや価値や自信は「足りない」から生まれる。
毎日の生活の中で、
「あぁ、もっと◯◯だったら…」
って思うことは、よくあります。
でも最近よく思います。
「なかなか手に入らないから良い」って。
今までもなんとなく頭ではわかっていたけど、
手に入らないことで別の角度から喜びを実感するようになってきました。
「足りない」から心が豊かになっていくことを、いつのまにか感じているようになりました。
モノの豊かさでは、心は豊かになっていかないんだと、少し気がつきました。
モノって、心以外の全部です。
人も入っています。
(人に対する感情は心ですが。)
お金だったり、時間だったり、欲しいもの全部です。
喜びや、幸せは、心で感じるものだから、心が豊かになれるような日常を送れることが大切なんだと思いました。
例えば今日だったら…
バジルの葉と、たくさんのトマトをいただいたので、私はあこがれのイタリアンみたいな気どったサラダを作りたくなりました。
きざんだトマトはボウル1杯分です!
ニンニクをいれて、
胡椒をいれて、お塩をしっかり効かせて、
玉ねぎもオイルも入れて、
バジルを入れます。
いよいよ仕上げ!
冷蔵庫から出したのは、
ベビーチーズ1つ。
「もっとふんだんに使えたら、もっとおいしいのに。」
「モッツァレラチーズだったら、もっと本格的なのに。」
毎日、いろいろな場面で心の中にあふれてきます。
「もっと」とか「こうだったらいいのに」とか。
でも赤毛のアンが空想すると、目を輝かせて「こうだったら素敵だわぁ!」と、足りないことを「夢」として思い描いているんです。
不満を漏らすんじゃなくて「夢」として語ればロマンになるし、とにかく自分がワクワクしてきます。
さぁ、気どったサラダ作りに戻りましょう。
少しのチーズがお料理の全体に行き渡るように、小さく切って
まんべんなくチーズが味わえるようにサラダを作りました。
食べてみたら、たまにコロッと噛み締めるチーズが…おいしいんですよ。
トマトに合いますよね。
そしてまた
「あぁ、このチーズがモッツァレラなら、さぞ美味しいのに。」
って思うんだけど、
大切なことに気がつきました。
節約生活していなければ、私はきどった美味しいサラダを作れるようにならなかった。
だって買えばいい。
私だったら買っちゃう。
モッツァレラチーズを買って、
ドレッシングを買って、
ナントカリーフとかお洒落な葉っぱも買って、見た目も最高で、いざ「いただきます」って食べたら?
「おいしい」って言うと思います。
そして「当たり前じゃん。」って思うと思います。
一緒に食べる人と楽しく美味しく食べるのは、心を豊かにして価値あることだと思うけど、
今日重要だったのは「コストをかけなくてもきどったサラダを家で作って食べられた。それを私に作ることができた」という体験でした。
それが自信や喜びになります。
それって、価値のあることだと思いました。
お金が「足りない」ことで、価値が生まれました。
工夫したり、生活の知恵も少しはついたり、
今日1日のうちの、たった一コマの出来事でも、私自身が豊かになった体験ができました。
そしてもう一つ大切なのは、
「自分自身が得ているものに気がつくこと」
気がつくようになったことも、
私の一歩前進だし、
「足りない」ことが苦労だと捉えたら、
「疲れ」と「ストレス」を積み重ねていくだけです。
それ、いつもの私なんですけどね。
無理矢理に、現状を美化して考えることはしません。
勝手に喜びを感じられるまで、感情の変化は自然にまかせています。
今日はたまたま、きどったサラダが私に喜びを気がつかせてくれました。
次にきどったサラダを作ったとき、
「あぁ、もっとチーズをふんだんに使えたらいいのに。この生活は不満だわ。」
と思っても、それはそれでいいんです。
お料理の前に何か面白くないことが起きて、機嫌を損ねているかもしれないし。
喜びに気がつくのにも自分のコンディションとのタイミングがあると思うので、1日のうちにどこかで一つ喜びを見つければ、豊かな1日になるはずです。
豊かな1日は、
心地よい疲労感と満足感があって、
私を機嫌よく、明るく、前向きに
してくれます。
明日も豊かな1日を過ごしたいです。