2種類の行列|他人とは分かり合えないけど、世の中捨てたもんじゃない
公共の場にいるときに他人が、自分が思ってたことと違うことをしても受け入れられるようになろうと思って過ごしています
不特定多数の約10名の息が合った行列と、
我先にと言わんばかりの行列の2つの体験についてお話しします
私の町の小さな診療所の待合室では、診察時間の前に受付までいって名前を書いて予約というか自分の順番とりをすることができます。
なので、診察開始するころに順番をとっても2時間待ちほどになってしまいます
予約開始まであと5分
小さな待合室に入りました
そこにいた人は行列をつくるわけではなく、人との距離をとりながら、ソファーに座っていた
待合室には4名の人がいて、私が5番目。
それなら私が予約を取るには少なくとも5番より早く書くのは遠慮しようと思っていた
予約1分前には10名ほどの人が順番を取りに来た
誰だって、早く順番をとりたい理由があるはずだし、窓口に予約票がでてきた瞬間、後から来たことなど関係なく我先に行列に並ぶ人がいても仕方ないと思っていた
私が行列に並べたとしても5番目以降にしようなどと考えてるから、私はいつまでも世渡りが下手なんだと考えてました
我先に精神といえば私はあるリユース品を配布する会場での出来事を思い出していた
ちびまるこちゃんのお母さんやサザエさんのようにバーゲンセールで大勢が商品を奪い合うように必死な大人の姿は、昔のことかアニメの世界だと思ってました。
「ちょっと押さないでよー」という言葉とか2人で服を引っ張り合う姿は見たことないけど、リユース品を必死にあさる大人の姿はほんとにあった。
それを"みにくい"とか"みっともない"とか思っちゃいけないと思ってる時点で、思ってるんですけど、結局そこの一部に私も含まれているわけです。
そのような体験をしたので、この診療所の待合室でも、予約の取り合いが起こっても、それを「なんて信じられない人たちなんだ」などと思わないで、私の思い通りにいくほうがおかしいんだと胸にとめていました。
リユース品の配布会場では、「はい、それでは」というアナウンスの時点で走っちゃいけないのに、走り出す人が何人もいて、「はじめます、走らないでください!」といわれていて、私が恥ずかしくなってしまいました。
でもそれが世渡り上手というものなのでしょうか。
私はマイペースというかトロい方なので、時に周りのスピードに乗れてないから、人の波に圧倒されてフリーズし、食い散らかされたあとの余り物を頂戴している感じです。
サバンナのお話では、ハイエナは、他の動物が食べることのできない骨と腐った肉を食べることによって、サバンナが綺麗に保たれているそうです。
そのように自然界の循環に役に立っているそうなので、私もハイエナのスタンスで堂々としていればいいのかもしれません。
そして私のマイペースを変えられないなら、余り物でも文句なしということにしています。
まわりから、もっと強く出てもいいと言ってもらえますが、それはなんというか、理想と私との摩擦が大きすぎるんですよね。
真面目だと損をすると言われます。
そうだと思います。
いらない真面目さを抱えて、損をして、バカバカしい限りです。
真面目をやめて、得をしても、たぶん私にとっては気分がよくないので損なのです。
損をしたくて損をしている、そんなバカバカしい私をなかなかやめられません。
でもマイペースで後ろの人を待たせたり、人の気を悪くするなら改善が必要かもしれません。
私が列の後ろにいればいるほど自分の遅れをカバーできなくなるので、早めに会場について並ぶようになりました。
会場での自分の動きをイメージトレーニングしてもたもたしないようにして開始時間を待ちます。
みんなに合わせて気持ち早足で歩いたり、目の前のリユース品に他に手を出す人がいたら、取り合いに引いてしまう私はその時は引いて待つことにしました。
引いてって、うわって顔をするってことじゃなくて、手を引いて待つんです。
カルタなら本気で取り合えるんですけどね。
自分ができそうなことは改善して、苦手なことは無理に変えずに、できるところから理想とありのままの自分とのバランスをとっている途中です。
大きな大学病院の席とか電車の中とか、人が座ってる場所では大体みんなスマホをみてるのに、診療所の予約前の待合室は誰一人スマホをみず、ポスターや本棚を見るわけでもなく、壁か床を静かに見つめ続ける人ばかりでした。
みんな本気だ。順番をとることに本気で集中しているんだと思いました。
壁にかかってる子ども新聞とか、本棚の背表紙とか、紅葉した木のカレンダーとか眺めてるのは私だけだと思いました。
みんなはもうよーいどんの、ヨーイを始めているんだろうから、ヨーイを初めてない私はこういうところから皆んなに抜かされるのかなと思いました。
さあ、診療所の待合室のカウンターから、予約票が出てきました。
私も叶うならなるべく早く診察を終えて、すぐに3つの用事を済ませて、次の約束の時間が迫ってるので焦っていました。
さすがの私もガツガツと気持ち強くささっと並ばなければと思って強気で椅子を立ちます。
でも目の前で鉢合わせた人は診療所に後から来た人だったのに、私は列に並ばず立ち止まってしまいました。
弱気に負けてしまいました。
そこは、前の列からちょうど5番目。
鉢合わせた人は、列に向かう足をとめてそっぽを向いています。
なんと、5番目を空けてくれてたんですよね。
しばらく待って、小さくお辞儀をして並ばせてもらいました。
そしてそれも束の間。
横から大きな男性が迫ってきました。
私の前に入るのか?
私は列を開けてるわけじゃない!
身体的距離をあけているだけなの!
心の中で言いました。
すると、男性は後ろの人に一礼して私の後ろに並びました。
たぶんみんな、自分が何番目に来たか把握しているんだと気がつきました。
なんて平和な順番とりなんだ!!
みんなにとっては当然の暗黙の了解なのでしょうか?
私はみんながみんな暗黙を了解すると思わないので、こんな安全安心が守られた行列にならべたことに、心がキュンとした感覚に近いほど感激しました。
たまたまかもしれないけど、こんなこともあるのか、世の中捨てたものじゃない。と思いました。
だからって、もっと人を信じようとか期待しようということにはならないけど、心の中で知らず知らずに作り上げてるどうせ他人なんてとか思ってる"ひねくれた私"をちょっとだけ真っ直ぐにしてくれました。
リユース品の配布会はまたいつか行くと思うんですけど、自分が守ってるマナーを守ってない人がいても受け入れていかねばと思います。
自分のトロさはコンプレックスです。
リユース品の配布会でトロさについて、私はこのままトロくていいのか?という疑問にぶつかります。でもそれは自分をアップデートするにはちょうど良いかもしれません。
安全安心が守られた列で得られるものも得られないものもあることをあとで気付かされました。
物事はコインのように2面性があるといいますが、冷静に考えればどちらも自分にとって価値に変えられるものかもしれません。
この2つの行列の話をしようとしたときには、完全にリユース配布会をディスるつもりだったのになぁ。